昭和43年11月24日 夜のご理解
こんばんわ。夜の御祈念に合わせまして、竹内先生ところの奥さんのお兄さんにあたられる方の、おー、御霊様ですけれども、お立ち日でございました。式年祭というわけではございませんけれども、そのお立ち日だというので、ちょっと御霊様にご挨拶を申し上げてくれということでございました。一日おとりこしをされれば昨日、ああして家族中で参っておられたんですけれども、やはりあの、きちっと今日が、いわば祥月命日でございますから、今日してほしいと言うて、まぁいろいろお好きであったお供え物なんかをとりそろえてからお願いにみえておりましたが、もうそれも20日でしたかね、10日ぐらい前でしたでしょうか、前からそのお願いがちゃんとしてございました。それであの、まぁそのことを今日は、御祈念の中にふくんでさせて頂いたんですけれども、神様にそのことをお願い申しておりましたら、あの、山伏がね、あの一本ばのげたを履いておるところを頂いてから、あー、そのあー、まぁいわば滝うちのきちっとした信心とでも申しましょうかね、まぁゆうならば侍というかね、武士は侍ということだと思うんですけれども、きちっとした信心を神がうけると仰る。御霊様じゃなく、神様が受けると仰る。ね、ですからあの、御霊様が喜んで下さるとゆうようなことにたいするこの思いとか、それに対する奉仕とかというのは、ね、御霊様が喜んで下さるのではなくて、神様が喜んで下さる。その神様の、が喜んで下さるから、御霊様もまた大事にとりあつこうて下さるわけですが、これはまぁいつものことですが、ご承知でしょうけれども、御霊様に例えばいくらお好きな物じゃったからというてたくさん、ならあのお供えをしたからとゆうて、直接御霊様がお受けになられるわけにもいけんのである。そういう、まぁいうならば、あー、お立ち日ぐらいもううちででもいい、ちょっとお茶でも沸かして、えーっとゆうだけでもよいのだけれども、そうしていろいろと手をつくして、ゆうならばきちんとしたね、信心ということやろうとこう思ったんですけれども。やはりきょうにん?と侍とはやはりその、片一方はきちっと、まぁ羽織り、袴つけて日本ざしを腰ざばさんでの、ゆうなら( )の信心。確かに、あの竹内先生方のご信心は、まぁここで、えー、いわばきょうにん?のようなあー、まぁゆうならば、あー侠客?のような、さまざまな信心がありましょう。まぁけれども、竹内先生たちの信心の部類に分けるなら、やはり侍のような、武士のような信心だと思うんです。きちっと折り目正しい、ゆうならば行儀万端の上においても、そういうものを先生の信心から感じられますが、今日その山伏ということを頂くことは、まぁだ現在、その竹内先生たちは、まぁだ只今修行中という意味だと思いました。でこの、お祭りを、おー、お祭りというか、御霊様に、んー、まぁ近いなら、だいだい今日昼でてみえるはずだったから、その時には昼しようとゆうとったけれども、電話がかかってまいりまして、今日昼お客さんがあるというので、こられなくなったから、そんならきちっと、九時に私が御祈念を始めますから、九時にはそちらから遥拝をして下さいと言うて、電話を切ったんですけれども、そのことがなされておったに違いありませんが。そういうきちっとした修行と、信心が神様がお受け下さり、それが今日の御霊がまたその喜びを受けることになるわけでございますけども。確かに、竹内先生あたりの現在、いろんな意味で修行中だとこう思う。ね、特にこの御霊様のそれをお願いするからにはです、いつも心にそのことかけ通し、いうならば、あー山伏が一本ばのげたを履いておるような気持ちで、ゆうなら薄氷の上を渡るような思いで、このお祭りをお願いしておられたんだというふうに思わせてもらうのです。ね、神様は、いうならあわせ鏡と同じ( )ございますから、こちらがきちっとした侍のような信心すりゃ、やはり武士におとりたて頂くような意味あいにおいてそのおかげが受けられます。ね、だから、どの信心がよいというわけではありません。その人の信心性格ですから、ね、お百姓さんはお百姓さんのおー、いわばどろの香がするような信心させてもりゃ、そこにしみじみといわば、あー、お野菜とか作物が実のり、または、あー、育っていくような意味合いにおいての信心が育っていき、そういうまた実り的なおかげが受けられると思うんですけれども、ね、私共の信心がどういう部類にあってもやはり、ここんところの信心の節度というものを守らなければいけないなと、同時にこうして心のかける、一つの願い事といったようなときには、とりわけ心を神様に向けて、ね、粗相のないように御粗末ご無礼のないように、これは一つのおかげを頂く、えー、ここでこそいたしませんけれども、おー、私共善導寺でおかげを頂いておる時分は、今の先生はそれをなさいません。けど、初代の時分は、お日切りというのをなさっておりました。ね、一週間の日を切って願ってくださるのです。だから、一週間、一生懸命お参りをしてこいと。ではなかったら、その一週間をとりわけ自分の心を神様に向けて、いわいる信心からもれることのないように、心をつけておけ、心をかけておけというわけなんです。お互いがそれぞれに、願いをもっていないはずはありません。ね。その願いが本当に神様に喜んで頂くような、その願いであり、またおかげの成就になるためにも、そのために修行させてもらう。そのために、足元を乱さんように、ね、ご無礼の連続と、自分で心に感ずるようなことでおかげになるはずありません。自分ながら、ね、それがなされていくことが有り難いというような信心をですね、お互いが現していって始めて、神様が喜んで下さる。今日の場合なんか、それを御霊様がまたお受け下さるという感じでございましたですね。
どうぞ。 治子